加藤五輔の作品


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昔、多治見に こんなすごい人がいました!

− 明治の名工 −  

加藤五輔の略年譜

 加藤五輔は、美濃に於ける明治年代随一の名工であり その製品は鮮明緻密にして極めて独創的な様式を確立した。
窯処市之倉(岐阜県多治見市市之倉町)にて、江戸時代より御用窯として既に良品を焼き上げ ており、五輔の祖父もその一人であった。

土は有田磁器(陶石質)と異なり、美濃独自の原料を用いた長石質磁器であり、白色透光性 の素地であるその上に白化粧(白絵)を施し、繊細な染付により独特の絵画的表現をあらわ している。窯は現在の市之倉町3丁目の北斜面に築窯し焼成していた。

製品の殆どは、当時多治見の商人・西浦円冶氏により、広く国内だけではなく米国、豪州、 フランス等、諸外国に販売され、粗悪の名を以て呼ばれた美濃焼 製品の品質の向上を内外に広めることとなった。
また、1878年(明治11年)に開催されたパリ万国博覧会において、 日本からの出品作の中で、最高の名誉賞に輝き、好評を博したところから、一般に「大日本五輔」 の名で知られることとなる。

五輔は土一つ作るにも、大変な時間と労力を費やしたといわれ、話によると磁器土は粘りが なく、成形が困難であるために数年間 "ねかし" 粘りを持たせてから使用したといわれてい る。これは呉須についても同様で半年も一年も摺って使用していたそうである。

一つの製品を作るにも、数年の歳月を費やして完成させていることは、今日残っている作品 群がよく物語っており、まさに「大日本五輔」の名に相応しい、名工としての仕事ぶりであ った。


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